ものよむひと(仮)
移転しましたー。お引っ越し先はこちらです。→http://maturiyaitto.blog90.fc2.com/
スポンサーサイト
(大いなる、燃えさかる空)
 GROSSE, GLÜHENDE WÖLBUNG
 大いなる、燃えさかる空
 mit dem sich
 黒の
 hinaus- und hinweg-
 星々の群れが―
 wühlenden Schwarzgestirn-Schwarm
突発企画 VSみかん星人18番勝負(3/3)
0/3
1/3
2/3

死霊〈1〉死霊〈2〉死霊〈3〉
 埴谷雄高『死霊』
 いわゆる「黒い水脈」(夢野久作『ドグラ・マグラ』、中井英夫『虚無への供物』、小栗虫太郎『黒死舘殺人事件』など)の血を引く作品。挙がっている作品から分かる通り、ネタ度抜群。万人にはお勧めしかねるけど(てかここで紹介してる奴はおおむねそう)。

ゲオルク・ビューヒナー全集
 ゲオルク・ビューヒナー『ヴォイツェック』
 享年23歳、執筆活動期間わずか1年半。にも関わらず、ドイツではゲーテと並び称される、正真正銘天賦の才を持った作家。この前復刊した全集も、1万なら安いと言い切れる(復刊まで古本で3万してたってのもあるけど)。
 そんな彼を代表する未完の戯曲がこの『ヴォイツェック』。早過ぎた才(と生涯)を証明するかのごとく、初演は彼の死後、実に90年近くを経た20世紀になってから。
 実話をモチーフとした作品で、筋立てをまとめれば、男が妻を殺す、というただそれだけ。もちろんその筋に収まるような作品でないのは言うまでもない。ラストシーンの鮮烈さは『ダントンの死』の苛烈さとともにとてつもない衝撃を誇ります。
 上演までされてるのに何が問題なのかというと、主にその順番。数十の断片(草稿)が残されているだけで、それをどうつなぐかの手腕が問われる、という演出家泣かせ、あるいは演出家冥利に尽きる一作となっています。だからこのままにしておきたいのが半分、完成型を見たいのが半分。あと火災で焼失した幻の戯曲が一本あるはずなんだけど、名前が思い出せない……


 ロベルト・ムージル『特性のない男』
 二十世紀三大長編(後二つはジョイス『ユリシーズ』、プルースト『失われた時を求めて』)のひとつ。悲しいかな、日本での知名度はとても低い。
 内容は超弩級、というと過小評価になってしまう。そのくらい凄絶な圧倒的スケールを誇る大長編(語り出すとアレなので今はご勘弁を。右の写真をクリックすれば、ちょっとした解説が見えるようになります)……なんだけど、ナチスの手を逃れた亡命先での急逝により未完。そして現存する版の翻訳は今ひとつ。……やっぱ日本では不遇なのか。
 ちなみに今、自分の手元には河出書房版(世界文学全集中の1冊)しかありません。誰か新潮社版下さい。未完なのはさておき、これは原文で触れたいなあ。

ららら科學の子THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ悲劇週間
 矢作俊彦『アマ☆カス』(『百愁のキャプテン』)
 日本で一、二を争う、世界でも有数の小説家、矢作俊彦。その甘粕正彦(調べてみると面白いですよ?)を追った長編。
 あのですね、連載は終わってるんですよ。近刊って告知も出たんですよ。でも出ない、3年半ほど。その間に8年ほど間があいてた(単行本となると十数年)二村英爾シリーズの新作(『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』)が出たけど。そして近作は当人いわく「気分はもう戦争の21世紀版」「豚が主人公の悪漢小説」。うーん……あ、あとバブル崩壊後の日本の原風景を追った、『新ニッポン百景』(週刊ポスト連載)の続編もなかなか出ませんね。セカチューと言いマンガ以外じゃ小学館はろくなことしてねえな。

食前絶後!!
 ろくごまるに『食前絶後!!』
 昨復活を果たした、ろくごまるにの(公刊された)第一作。事ある毎に配って、8冊消えたのが懐かしい(余談)。
 内容は調味魔導という、奇天烈な魔導の後継者争い。リズミカルな文体もこの頃からで、挟まれる味覚表現「さっぱりとしたアスファルト味」(と「やなこった」)は今でも語り草。
 で、これ続いても不思議じゃない内容なんですよね。まあ件のシリーズが佳境な以上、出ないというワケで。どーなんだろうね。
 あと羞恥プレイ恥ずかしいのは承知の上で、『喪中の戦士』も読みたいなあ、と。

十八番街の迷い猫―夕なぎの街こころのかけら―夕なぎの街
 渡辺まさき『夕なぎの街』
 あ、五十音順だとそうかと思いつつ。
 居酒屋で住み込みをしつつ、国家錬金術師をめざすコウ、謎めいた女サヨリ、心持つ機械人形マイカ。そこに政府転覆や邪悪な魔術師やらが錯綜します。わけても連作短篇の二巻が面白いです。……とここまでが表向きで、裏はゆったりとした雰囲気と食事シーンを楽しむ(というより味わう)作品でもあります。特に食事は、味覚自体じゃなくて作られる過程に重きを置いてるのが興味深いです。
 四年ほど音沙汰がなかったのですが、しかし今年七月、新創刊の文庫より晴れて復活。売り上げがあがれば再刊もあるとのことで、現状ではこれが、一番可能性のある作品ですね。はてさて。


 ……てなわけで18番勝負はこれにて終了。お粗末様でした。
今日の買い物。
もやしもん 3 (3) 特装版
『もやしもん 3 (3) 特装版』
説明不要の菌類マンガ。かもすぞ。無駄な手間のかかりっぷりがステキ。

『en-taxi No.3 (AUTUMN 2003) (3)』
矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん断章』単騎。いや、連載陣が豪華すぎるのでほかの部分も読むはず。

『en-taxi No.10 (SUMMER 2005) (10)』
なんと洲之内徹の文章が別冊とのことで。嬉。

『en-taxi』はなかなか置いてる場所がなく、手に取る機会がなかったんですが、洲之内徹に惚れたのをきっかけに、読んでみようかと。そう言えば最近いいものばっか読んでるなと、逆に心配になってきました。貧乏性ですな。
突発企画 VSみかん星人18番勝負(2/3)
0/3
1/3

天翔けるバカ flying fools  コバルト文庫天翔けるバカ―We Are The Champions
 須賀しのぶ『天翔けるバカ』
 日本を代表し得る、あるいは20世紀を締め括るに相応しいと言い切ったりもした長編。第一次世界大戦を舞台にしたコメディ、と言うだけでヨーロッパ人には驚倒もの。きっちり完結はしてるんですが、後書きには第二次世界大戦を舞台にした作品の予告が。まあ出るんでしょうけど、今のとこその気配は無いなあ、と。一次、二次と、あとベトナムか中東、もしくは今年のイラン辺りで三部作を希望(勝手すぎ)。

追記:
……と書いてたら続報が。昨年コバルトに掲載された、二次大戦中の日本の高校野球を舞台にした小説が、長編として出される予定とのこと。いったいどんな作品に生まれ変わるんでしょうか。
……でも破滅的な無理はしないで下さいよ、と。

レィティアの涙氷の柩折れた翼―レィティアの涙
 高遠砂夜『レィティアの涙』
 神話と王道を組み合わせたファンタジー。片目に女神の涙を封印された王子と、故郷を失った翔翼人(リル・ディーン)の双子との旅物語。雰囲気暗めですが、メリハリがついているので苦手な人でも読めるかと。大きな声で言いにくいタイトルですが、『姫君と婚約者』も待ってます。こっちは版が残ってるんだけど、でもこれも難しそう。

カラマーゾフの兄弟 上   新潮文庫 ト 1-9カラマーゾフの兄弟〈中〉カラマーゾフの兄弟 下    新潮文庫 ト 1-11
 フュードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
 え? と思った方。そう、未完なんですよこれが! 構想上では次男ドミートリィの流刑をとめようとしたり、三男アリョーシャが皇帝を暗殺しようと企んだりする、『偉大なる罪人の章』(『魂の遍歴の章』)という第二部が予定されていたとのこと。今さら読み直す気にはならないのだけど、億が一発掘されたりしたら是が非でも。


 内藤渉『カレイドスコープの少女』
 機械人形を従えた心優しき少女(病弱)と、腕利きの工匠(むろん少年)とのボーイ・ミーツ・ガール。それを狙う魔術師(邪悪)と、魔術師と少女の存在を快く思わない教会とがさらに絡み合う。
 さあどうなる型とは言え、きれいな一話完結と言えば完結。最近五年ぶりくらいに(しかも増刊号の短篇)続編を書いたので、復活もあり? 1冊だけだしね。

アンダー・ラグ・ロッキング
 名瀬樹『アンダー・ラグ・ロッキング』
 いつ果てるとも知れない戦場に送り込まれる、少年少女たちを描いた連作短編集。けれどもこれ見よがしな残酷やグロテスクとは無縁。そうした中ふとにじみ出る、おかしさともの悲しさ。いっそ淡々とした味が印象に残ってます……しかしこの一作でフェードアウト。残念。版はまだ残ってるっぽいけど。

存在と時間〈1〉存在と時間II存在と時間〈3〉
 マルティン・ハイデガー『存在と時間』
 言わずもがな的な哲学書も、実は未完。一応続編っぽい『形而上学入門』てのは出てる。ただ(ろく伍者に教わりました。多謝。)「哲学」と「形而上学」の区別など、原書を読まないと分かり辛いとのことで、ちょっとその、よろよろと。哲学系の訳者が達人級であれば……っ! いずれドイツ語は学ばねばならぬ予感(話ずれすぎ)。

   (続く……)
突発企画 VSみかん星人18番勝負(1/3)
 0/3はこちら(てか昨日)。

 というわけで、作者名五十音順に語ってみんとす。
 ……では、いざ適当尋常に。

E.G.コンバットE.G.コンバット (2nd)E.G.コンバット〈3rd〉
 秋山瑞人『E.G.コンバット ファイナル』
 のっけからレジェンド。デストローイ。これは是非とも知人に語らせたいですね(まだ仕事忙しいのかな?)。何気に『ミナミノミナミノ』も続編が出てませんが、今いずこ。ちなみに調べたら在庫切れっぽいのですが……やっぱ無理なの?

VS‐ヴァーサス〈file 1〉始動!超科学特殊捜査班VS―ヴァーサス―file5 〈V〉と〈S〉
 麻生俊平『VS ヴァーサス』(6巻以降)
 察して下さい。ていうか、察しろ。ええっと、新天地での新刊は好評の模様(既に二刷目とのこと)。うう、でも、フィッツジェラルドという単語が頭の中をぐるぐると。願わくばまたっ。

猫のゆりかご415010302X
 カート・ヴォネガット『???』(世界の終わりに関する小説)
 アメリカ人は救いようがない。西部劇を現実にやろうとするガキ大将のようなもので、たとえばベトナム戦争を終わらせたニクソンよりも、こじらせたケネディが好きだ。小うるさそうなゴアよりもプレッツェルを詰まらせて死にかけるチャーミングなブッシュが好きだ。そしてイラクも大統領選も終わった、すべて遅い今になって後悔し始める。だからこそ、救いようがない。
 そんなアメリカ人の代表格ブッシュ大統領に、心優しき皮肉屋、ヴォネガットがブチ切れた。

「まだお気づきでない方のために言っておくと、私たちはかつてのナチと同じくらい、世界中から恐れられ嫌われるようになっているのだ。」
「アルバート・アインシュタインとマーク・トウェーンは人生の終わりに人類に絶望したが、トウェーンは第一次世界大戦を見ないで済んだ。今や戦争はテレビ娯楽の典型例になった。第一次世界大戦が特に娯楽向きだとしたら、アメリカの二つの発明品、有刺鉄線とマシンガンのおかげだ。手榴弾はそれを発明したイギリス人(シュラプネル)にちなんで名づけられた。あなたも何かの名前になりたいでしょう?
 比類なき先達であるアインシュタインとトウェーンのように、私もまた人類には絶望しはじめている。そして、お気づきの方もあるかもしれないが、私が冷酷な戦争機械に降参したのは、これが初めてではない。
 私の臨終の言葉? 「人生とは動物一匹、ネズミ一匹にすら役にたたないものである。」」


「ブッシュとヒットラーの唯一の違いは、ヒットラーは選挙で選ばれたという事です。もう皆さんも良くご存知のように、選挙は盗まれたんですよ。この土地(オハイオ州)でね。」
「私は今、世界の終わりに関する小説を書いていますが、世界は本当に終わろうとしてるんですよ! 石油中毒のおかげでますます住み難くなっている。ブッシュも同じことを最近言いましたな。盗作で訴えないといけません。」
「一部の人々にとって戦争はとても儲かる事なんです。かつてキリストはとても慈悲深く、貧しき者の味方でした。しかし今では、彼も共和党員なんです。」


 前者は04年の、後者は今年三月の講演(「金を貰って行う最後のスピーチ」)でのこと。
 ヴォネガットを執筆へと追いやったこと。ブッシュ大統領の任期中一番の功績は、間違いなくこれだろう。ヴォネガットの悲しみを思いつつ、出たら間違いなく手に取るはず。

註:
念のために言っておくと、筆者とヴォネガットの意見は大分異なる。こと日本に関して言えば、むしろブッシュ大統領に三選でも四選でもしてもらいたいくらいだ(規定上無理だが)。日本に実質的な(少なくともアメリカからの)害はないし、長く続けばいくらなんでもマジメに対米追従から抜け出そうという気になるだろうから。

予言の守護者―女神の刻印〈1〉永遠の誓い―女神の刻印〈2〉紫蝶の紡ぐ夢―女神の刻印〈3〉仮面の聖者―女神の刻印〈4〉
 樹川さとみ『女神の刻印』(5巻以降)
 今やユーモアで言えば日本で一、二を争う(掛け値なしに!)才を持つ作家、その初期作。大陸書房からまず出て、中央公論新社で再開されるも、ゴタゴタがあったらしく未完。ここ2年ほど単発ものなんで、ここらでひとつ、書いてくれませんかね? いや、『楽園の魔女たち』が素晴らしい作品だったんで、その上さらにこの続編を望む、てのが非常に贅沢なのは分かってます。けどねえ。

幽霊―或る幼年と青春の物語木精
 北杜夫『病葉』(三部作完結編)
『幽霊 或る幼年と青春の物語』『木精 或る青年期と追想の物語』と続く、三部作の完結編となるはずの一作。戦後のユーモア作家と言えばこの人を抜きにしては語れません。父親の歌人、斎藤茂吉の短歌も素晴らしい。結局『楡家の人びと』の頃の情熱と筆力が戻らないんでしょうね……週刊文春だか新潮だかでコラムは連載してる(た?)んだけど、違う意味で涙なしには読めません。

幻想封歌明日はきっと晴れ!―メルヴィ&カシム〈5〉夢みる佳人刻(とき)の静寂(しじま)―道士リジィオ〈4〉
 冴木忍『メルヴィ&カシム』『導師リジィオ』
 正直今の(正確に言えば『カイルロッド』以後の)冴木忍ではきついかと。作品自体も絶版だし。けど『卵王子カイルロッドの苦難』までも絶版てのはねえ。何というか、不遇な作家です。リジィオはドラマCD版の『風の歌、星の道』で、フィンレック王家の初代になることが判明してるんですが……道は遠い。

   (続く……)
コロン
 KOLON
 コロン

 Keine im Licht der Wort-
 言葉の光―
 Vigilie erwanderte
 不寝番のかがり火で
 Hand.
 くつろげない手。

 Doch du, Erschlafene, immer
 けれどきみ、おぼろに探り当てられた、
 sprachwahr in jeder
 休止符ごとに
 der Pausen
突発企画 VSみかん星人18番勝負(0/3)
「夏かしや 昔はトップに ろくごまるに(字余り)。」

 未完、未刊と最近立て続けに話題が出て傷口を抉られたり、本を総計1500冊ほど処分したりする過程でその気になった。題して、「VSみかん星人18番勝負」。センスレスな名前なのは気にしない。

『様々なるネタ元』
ろくごまるに追想録34 夏待ち後のゆううつ(2ch)
もうひとつの夏へ
 ↓
「打ち○り? ちがう、続きが出ないだけだっ!」なライトノベル
 ↓
打ち○り? ちがう、続きが出ないだけだっ!(「玲朧月の気分次第で何か書/描こう」・その5まで)
 あと記憶の彼方にあった市場原理の中心で続刊を叫ぶ(2年前。移転されて無かったのでアーカイブから。コメント見られない……)。

 というわけで、作者名五十音順に語ってみんとす。ちなみにちゃんと全部書き終わってるので、いつものように気まぐれで続かない、ということはございませぬ。

 では、いざ適当尋常に。
 ……のその前に、スレッドで出た作品のまとめをば。
 マンガだと、慎んで『刻の大地』と『スーパービックリマン』、『ダッシュ四駆郎2』(涙)を付け加えさせてください。



魔界突入編。
 一体何人見てるんだか定かでない訳詩集『誰でもないものの薔薇』ですが、現在第4章(12分の3)まで進んでます(アップロードはまだ)。6月にはいったん全部終わりそうです。第4章(特に後半)は壮絶に魔界なんで、あくまで見通し、ですが。
 ただひとつの救いは魔界中の魔界『さくそはな』がほとんど終わってること。どうせいちゅうねん的な部分は解決済みというか。

 Und - ja -
 そうして―そう―
 die Bälge der Feme-Poeten
 暗い裁きの詩人の器が
 lurchen und vespern und wispern und vipern,
 山椒魚の 三時どきの さんざめきの 珊瑚蛇の、
 episteln.
 福音の調べを響かせる。


 三行目の地獄変相奏鳴曲とか(連なる四つの想起・当然のように韻)、

 Wann, wannwann,
 いつ、いついつ、
 Wahnwann, ja Wahn, -
 いつに、そう ついに、―


 Wann(いつ。=when)とWahn(妄想・幻想・狂気)が綯い交ぜに変貌していく曼聖羅とか。これを閃くのに何ヶ月かかったことか(血涙)。

 ……で、ではー。

追記:
ちなみに「次」は未定。資金が持つかどうか……
(ぼくは竹を切った)
 ICH HABE BAMBUS GESCHNITTEN
ケルモルファン城
 KERMORVAN
 ケルモルファン城

 Du Tausendgüldenkraut-Sternchen,
 小さな星―シマセンブリよ、
 du Erle, du Buche, du Farn
ERNEST=HEMINGWAY THE OLD MAN AND THE SEA
老人と海
アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』

 とどいたー。で、ルビーブックスってどういうセンスだと思いつつ買ったら、英語本文に日本語のルビが振ってあるのね。普通に読む分には便利そう。あと後ろ見たら01年の時点で既に五刷。結構売れてるんだ。
 とりあえず、バリバリ書き込んで使い倒すことにします。
昼下がり、城下のサーカスで
 NACHMITTAG MIT ZIRKUS UND ZITADELLE
 昼下がり、城下のサーカスで

 In Brest, vor den Falmmenringen,
 ブレストで、炎輪の前、
 im Zelt, wo der Tiger sprang,
 テントで、虎とぶ場所、
 da hört ich dich, Endlichkeit, singen,
 ぼくはきみ、最後のものの、歌を聞いた、
 da sah ich dich, Mandelstamm.
 ぼくはきみ、マンデリシュタームを見た。

 Der Himmel hing über der Reede,
 空が 停泊地の上かかり、
 die Möve hing über dem Kran.
 かもめが 起重機の上とまる。
 Das Endliche sang, das Stete, -
 最後のものが ようやく歌う、絶え間ないものが、―
 du, Kanonenboot, heißt „Baobab".
 きみ、砲艦、名は「バオバブ」。

 Ich grüße die Trikolore
 ぼくは三色旗に言葉かけた
 mit einem russischen Wort -
 ひとつのロシア語で―
 Verloren war Unverloren,
 無くしたことは無くさなかった、
 das Herz ein befestigter Ort.
 心はかくも 堅牢な場所。



「ブレスト」フランス西部にある軍港が有名だが、ここでは加えて、ポーランドとの国境沿いにあるロシアの「ブレスト」がほのめかされている。
「マンデリシュターム」ロシアの詩人。革命を支持するも、後に粛清の嵐に消えた。
「最後のもの」Endlichkeitは「有限」の意。Endlichには「やっと」「最後の」といった意味がある。
「バオバブ」サバンナ地帯に生える高木。千年以上の寿命を持ち、「さかさまの木」とも呼ばれる。サン・テグジュベリの『星の王子様』に出てくることでも有名。

参照:
パウル・ツェラン全詩集〈1〉
中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集〈1〉』
飯吉光夫訳『誰でもないものの薔薇』

   「Die Niemandsrose」(目次)に戻る
   「死のフーガ」「トートナウベルク」など
   「パウル・ツェラン 不信の時代の詩人」に行く

衝動。
 ふと目にした記事に、不意を衝かれたというか感銘を受けてしまった。載っていたのは一人の老人で、シベリアで抑留され死んだ「無名の兵士」、彼らを「名づけ」、一歩一歩「一人一人」に戻そうとしていた。
 こういう感情を覚えたのはルイ・フェルディナン・セリーヌ以来だったか。ごくごくたまには、新聞も役に立つ。

http://yokuryu.huu.cc/resn3.html

 というわけで、これをテーマに100枚ほど書こうと思う。
 まずは石原吉郎から始めるか……

追記:
何というか、ちょっとだけ『老人と海』に似た作品になりそうな予感。予感だけか。
列石群
 LE MENHIR
 列石群

 Wachsendes
 育ちゆく
 Steingrau.
 石の灰色。

 Graugestalt, augen-
 灰色の姿した、眼を―
 loser du, Steinblick, mit dem uns
 失くしたきみ、石のまなざし、それらたずさえ
 die Erde hervortrat, menschlich,
 大地が現れた、人のように、
 auf Dunkel-, auf Weißheidewegen,
 暗がりの中―、白い荒野の道の中、
 abends, vor
 夕暮れ時、
 dir, Himmelsschlucht.
 きみ、そらの狭間の前に。

 Verkebstes, hierhergekarrt, sank
 側女が、馬車に引かれ、
 über die Herzrücken weg. Meer-
 心の背に沈み込み。海という―
 mühle mahlte.
 臼が 粉を挽いた。

 Hellflüglig hingst du, früh,
 澄んだ翼で きみは飛んだ、朝まだき、
 zwischen Ginster und Stein,
 シダと石との合間を、
 kleine Phaläne.
 小さな蛾よ。

 Schwarz, phylakterien-
 黒く、羊皮紙の―
 farben, so wart ihr,
 色した、そんな風なきみ、
 ihr mit-
 きみ ともに―
 betenden Schoten.
 祈っているさやよ。



「列石群」原語「Le Menhir」はフランス語。古代の石柱群。カルナック遺跡などが有名。
「荒野の道」大文字の「Heide」には異教徒、不心得者の意味がある。
「羊皮紙」phylakterienは聖書の句を示した羊皮紙。もしくはその羊皮紙を閉じた箱。
「さや」莢。飯吉光夫訳では「青エンドウの莢」となっている。

参照:
パウル・ツェラン全詩集〈1〉
中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集〈1〉』
飯吉光夫訳『誰でもないものの薔薇』

   「Die Niemandsrose」(目次)に戻る
   「死のフーガ」「トートナウベルク」など
   「パウル・ツェラン 不信の時代の詩人」に行く
真昼の内に
 BEI TAG
 真昼の内に

 Hasenfell-Himmel. Noch immer
 兎の毛皮の―ような空。今もなお
 schreibt eine deutliche Schwinge.
 描き続けている 鮮やかな片翼。

 Auch ich, erinnere dich,
 ぼくもまた、思い出すがいい、
 Staub-
 すすけた―
 farbene, kam
 色した、鶴へと変わり
 als ein Kranich.
 やって来たきみよ。


「鶴へと変わって」個人的に浦島太郎の末尾を思わせるが、関連は不明。というか、研究者に任す(浦島太郎には、老人に変わった浦島太郎が乙姫を忘れられず、亀へと姿変え、やがて鶴へと姿変えた乙姫と幸せに暮らしたという結末が存在する。鶴は千年、亀は万年という成句もここから来ている)。疑おうと思えば、兎の毛皮から因幡の白ウサギを思い出すことも出来る。

参照:
パウル・ツェラン全詩集〈1〉
中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集〈1〉』
飯吉光夫訳『誰でもないものの薔薇』

   「Die Niemandsrose」(目次)に戻る
   「死のフーガ」「トートナウベルク」など
   「パウル・ツェラン 不信の時代の詩人」に行く
安息日へ
 HAWDALAH
 安息日へ

 An dem einen, dem
 ひとつの、
 einzigen
 ただひとつの
 Faden, an ihm
 糸、それを
 spinnst du - von ihm
 きみは紡ぐ―その糸で
 Umsponnener, ins
 紡がれたきみ、
 Freie, dahin,
 外へ、内へ、
 ins Gebundene.
 結ばれたきみ。

 Groß
 荒れ地の中
 stehn die Spindeln
 立ちほこっている
 ins Unland, die Bäume: es ist,
 糸紡ぎ、樹たちは―そう、
 von unten her, ein
 こちらへと上りゆく、一筋の
 Licht geknüpft in die Luft-
 光で編まれた そらの―
 matte, auf der du den Tisch deckst, den leeren
 敷布の上、食卓をきみは整える、からっぽの
 Stühlen und ihrem
 椅子と きみの
 Sabbatglanz zu - -
 安息日の輝きへ――

 zu Ehren.
 敬意を。


「Hawdalah」ヘブライ語。安息日の終わり、行われる儀式。
「安息日(Sabbat)」ユダヤ教では、金曜の日没から土曜の日没までを指す。

参照:
パウル・ツェラン全詩集〈1〉
中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集〈1〉』
飯吉光夫訳『誰でもないものの薔薇』

   「Die Niemandsrose」(目次)に戻る
   「死のフーガ」「トートナウベルク」など
   「パウル・ツェラン 不信の時代の詩人」に行く
錯誤。
 数日前、洲之内徹と向田邦子の文が似てるかも? みたいな話をしましたが……ありゃ嘘だという話。『気まぐれ美術館』読み進める内に分かってきたんだけど、片や「まっすぐな道だと悲しい」、片や「進みなされ、あるいは戻りなされ。どちらも同じこと」って気がする。……うむ、よく分からない。
 まあ向田邦子の方は置いておきます。洲之内徹の方は、何というか退路を断つ感じがするんですよ。彫刻……じゃないな、写真が一枚あったら、語ることによってそれをどんどん塗りつぶしていく、そして最後に何かが残る。本人は直接指差す訳じゃないんだけど、それよりはるかに浮き彫りになる。なるほど、こんな種があったんだなあ、と感心した日でした。

 ……どちらも名人芸なんで、種が分かったからどうだこうだ、というわけではございませんがね。

父の詫び状 <新装版>帰りたい風景―気まぐれ美術館
(投げかけられた木片)
 EIN WURFHOLZ, auf Atemwegen,
 投げかけられた木片が、息の通い路を、
 so wanderts, das Flügel-
 さまよう、翼―
 mächtige, das
 あるように、
 Wahre. Auf
 真実あるように。そうして
 Sternen-
 星たちの―
 bahnen, von Welten-
 巡る中、世界の―
 splittern geküßt, von Zeit-
 かけらに口づけられ、時の―
 körnern genarbt, von Zeitstaub, mit-
 ほこり、時の果実に傷ふさがれ、きみら―
 verwaisend mit euch,
 火礫ともに孤児になり、
 Lapilli, ver-
 小さく―
 zwergt, verwinzigt, ver-
 され、かすかになり、消し―
 nichtet,
 去られ、
 verbracht und verworfen,
 払われ そして はねつけられ、
 sich selber der Reim, -
 自ら韻へと成り変わる、―
 so kommt es
 そんな風にやって来る
 geflogen, so kommts
 飛びながら、そんな風にやって来る
 wieder und heim,
 ふたたび故郷へ、
 einen Herzschlag, ein Tausendjahr lang
 心拍の合間、千年の間
 innezuhalten als
 とどまろうとして
 einziger Zeiger im Rund,
 ただひとつ 円中の針として、
 das eine Seele,
 この心は、
 das seine
 ひとつ
 Seele
 魂が
 beschrieb,
 刻んだもの、
 das eine
 ひとつ
 Seele
 魂が
 beziffert.
 打ちゆくもの。


「投げかけられた木片」中村朝子訳ではブーメランとなっている。

参照:
パウル・ツェラン全詩集〈1〉
中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集〈1〉』
飯吉光夫訳『誰でもないものの薔薇』

   「Die Niemandsrose」(目次)に戻る
   「死のフーガ」「トートナウベルク」など
   「パウル・ツェラン 不信の時代の詩人」に行く
『ペシミストの勇気について』 石原吉郎再び
 詩人という人種は、まったく大したものだと思う。いや人種、というと違う気がする。もちろんごく限られた話だけど、彼らをほとんど、「人」とは思っていないのだから。

   *

 夭逝、早逝にロマンを見出すほど若くはないつもりだ、けれど「すべての職業の中で、一番寿命が短いのは詩人」、なんてことを聞くと、さもありという気がする(ちなみに逆は指揮者。程良い運動と緊張が体にいいらしい)。そしてその最期にしても、投身、自死、発狂なんて結末もある。ドイツ語詩の系譜を見てみるといい。ヘルダーリン、ニーチェ、リルケ、そしてツェラン。ふたりは狂気に囚われ、ひとりはセーヌへと投身した。リルケの最期に至っては、薔薇の刺から受けた傷がもとでと来る。呆れるやら悲しいやらを通り越して、苦笑いが出てしまう。

   *

 曽田正人のバレー漫画『昴』に、確かこんな台詞が出て来る。
「爪先で立つ分だけ、バレリーナは天に近い」
 ならば詩人は、何かを歌い上げる分、天に近付くのだろうか?

   *

 しかし、と思う。
 いったい「何に」向かって?
 問いかけに、セーヌへと投身した詩人は答えている。


フィエスタ到来。
 一昨日読んだ白洲正子(「今」は白洲次郎の妻、と言った方が通りがいいんだろうか?)『いまなぜ青山二郎なのか』の中に、こんな風なことが引用されていた。

「セザンヌの余白についていろいろ言われているが、あれはどうにも書きあぐねたから残したのではないか。凡百の画家(や批評家)なら辻褄を合わせるところ、彼はそうしなかった。そこに彼の才がある」
   洲之内徹『セザンヌの塗り残し 気まぐれ美術館』


 そして今日、頭の中はその文ばかり。いても立ってもいられなくなって、家を飛び出した。目的地は一箇所しかない。『セザンヌの塗り残し』こそ無かったけど、ほかに『青山二郎全文集』とかリルケの『ドゥイノの悲歌』があった。いつもながら、なかなかの品揃えで感心する。

 そして帰り道、パラパラとめくりながら、ふと気付いた。ああ、もうこの時期か、と。

 そう、年に一度だけこんな時期が来る。言ってみれば『移動祝祭日』という奴だ。といってパリとかリオでやる奴のことじゃない。統計上のゆらぎなんだろうけど、手に取る本すべてが大当たりという、何とも素晴らしい時期のことだ。『鉱脈』といってもいいかも知れないけど、そうすると地味なので『移動祝祭日』と呼ぶことにしている。

 少しずつ読んでるスタニスワフ・レム『天の声・枯草熱』が発端で、昨日の白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』で完全に入った。そうしてリルケの『ドゥイノの悲歌』の一行、「すべての天使はおそろしい。」に感じ入り、ツェランの受賞講演、『子午線』(はるか昔に頼んだ受賞講演集が届いてた。こういうことが起こるのだ)に、ビューヒナーに憑かれた(感銘というと薄い)身として琴線張る思いがする。この様子だと洲之内徹の『気まぐれ美術館』や『青山二郎全文集』も気に入る気がしてくる。

 さて、これを機会に積ん読にも手を伸ばそうかな?

辻天の声・枯草熱帰りたい風景―気まぐれ美術館
青山二郎全文集 (上)青山二郎全文集 (下)いまなぜ青山二郎なのか
白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』
いまなぜ青山二郎なのか
白州正子『いまなぜ青山二郎なのか』

 いや面白かった。内容はというと、昭和文壇にその名をとどろかす白洲正子(今なら白洲次郎の妻、といったら通りがいいかな)が、おなじく語り草となっている青山二郎の思い出を語る随筆集、かな。交友関係からして小林秀雄、中原中也、洲之内徹、河上徹太郎といった一筋縄でいかない面々が登場するわ、その中心人物たる青山二郎がさらに癖があるわ。200ページ、惜しみ惜しみ読み進みました。
 もう溢れんばかりに語りたいくらいなんだけど(実際書こうとした断片があったりもする)、そこをぐっとこらえて気に入った場所の紹介にとどめます。白洲正子のきびきびとした文章が味わえると思います。

 たとえばこんなことがあった。ジィちゃん(註・青山二郎のあだ名)と付き合う時は、いつも朝まで飲む覚悟でいたが、大磯に私の父親が住んでいたので、その日は早めに失礼するつもりでいた。私が途中でずらかろうとしているのを見て、ジィちゃんがどこへ行くのか訊いたので、「大磯の父のところへ行くの。あたし、親孝行なのよ」といったとたんに爆弾が落ちた。
「親なんて仮りのものじゃないか!」
 それは確かにそうに違いない。この世は仮の宿、親の腹は仮りもの、といった古来からの教えは身についていたのでよく解る。このことは青山二郎の思想をよく現す言葉でもあったから、何かの雑誌にそのとおりに書くと、忽ち誤解をうけた。
「ジィちゃんて、そんな冷たい人なんですか」といわれ、私はびっくりした。世間知らずに私は、この世はすべて仮りの姿とは、日本人にとって自明のことと信じこんでいたのである。追い討ちをかけるように、小林さんにも怒られた。
「ああいう言葉は絶対にいってはいけないことなのだ」
 と。中途半端な教養ほど身を誤るものはない。

 ほかにもお気に入りのの骨董に言ったという「人が覗たれば蛙に化れ」(ひとがみたればかえるになれ・説明はここでは省略)とか、勘定も払っていない三万(註・戦時中)の唐津のぐい飲みを、買った店に持っていって「俺が三年間持っていったんだから五万円に上がってるサ。ありがたく思え」と逆に言い値で買わせるとか。
 なりたいとは思わないけど、こういう人が近くにいたらいいな、と思わせるに十分でした。当人も魅力的だったんだろうし、そしてもちろん、白洲正子の腕がものを言ってますね。

 いや、結構なお点前でした。なんか祖母に貸してる『隠れ里』とか『西行』を取り戻しに行きそうな勢いですよ。

追記:
で、冒頭のマクラに引いてある、洲之内徹『気まぐれ美術館』が壮絶に読みたくなったんで調べると全滅。何してやがる新潮社っ。
ちなみに引用箇所を要約してみるとこんな感じ。感服。

「センザンヌの画面の塗り残しは、ほんとうのところどうしていいか解らなくて塗り残したのではないだろうか。凡庸な絵描きや批評家ならつじつまを合わせ(て塗りつぶす)るところだが、それをしなかった。できなかったところにセザンヌの非凡がある」

   この一冊。に戻る
カート・ヴォネガット『プレイヤー・ピアノ』
プレイヤー・ピアノ
カート・ヴォネガット『プレイヤー・ピアノ』

 ヴォネガットの処女作をようやく読了。ディストピアものといえばそうなんだけど、ザミャーチン『われら』とかオーウェル『1984年』みたいに露骨に共産圏の影響を受けたわけじゃなくて、むしろファンタジー風に仕上げてあるのが興味深い。
 前半三分の一まではかなり退屈なんだけど、そこからだんだん盛り上がってきて、二分の一が過ぎた辺りから初期ヴォネガットのスタイルが確立され始めます。何か作家誕生の過程を見るようで面白かったです。
 ただ、ヴォネガットの作品としては佳作でした。六百ページはちょっとかけ過ぎかな、と。

「インディアンにとっては、世界ががらりと一変したんだよ」ラッシャーはいった。
「すべてが白人の世界になり、そして白人の世界にインディアンのやりかたはうまく合わなかった。変わりはてた世界で古いインディアンの価値観をたもっていくのは、不可能だった。変わりはてた世界で彼らにできることといえば、二流の白人になるか、それとも白人被保護者になることしかなかった」
「それとも、古い価値観を守って、最後の一戦をまじえるか、だ」
 ファナティーがたのしそうにいった。

「むかしをとりもどすには、もうなんにも残ってないようだな、ええ?」
 かなりの距離を黙々と歩いたあとで、ファナティーがいった。
「新しい時代さ」とポール。
「そいつに乾杯するか?」ファナティーは、幽霊シャツのポケットからウィスキーの小瓶をとりだした。
「新しい時代に」

「これ以上魅力的なゲームはちょっとないもんな、物事を現状のままでとどまらせないというのは」

 ここらへんの台詞はさすがなのですが。

註:
二月の日記から引っ張りました。

   この一冊。に戻る
遠征
 ANABASIS
 遠征

 Dieses
 この
 schmal zwischen Mauern geschriebne
 壁の狭間標された
 unwegsam-wahre
 険しくも―本当の
 Hinauf und Zurück
 往還
 in die herzhelle Zukunft.
 心かがやく未来への。

 Dort.
 そこに。

 Silben-
 綴りという―
 mole, meer-
 堤、海に―
 farben, weit
 染められた、未だ
 ins Unbefahrne hinaus.
 踏まれざる地への。

 Dann:
 そうして。
 Bojen-,
 浮標たち―、
 Kummerbojen-Spalier
 悲しみという―列なす浮標たち
 mit den
 秒刻み
 sekundenschön hüpfenden
 きれいに飛び跳ねる
 Atemreflexen -: Leucht-
 息の投影― 燈火の―
 glockentöne (dum-,
 鐘の音(ドゥム―、
 dun-, un-,
 ドゥン―、ウン―、
 unde suspirat
 ナゼ ナゲク
 cor),
 ココロヨ)、
 aus-
 解き―
 gelöst, ein-
 放たれた、取り―
 gelöst, unser.
 戻された、ぼくらの。

 Sichtbares, Hörbares, das
 目に届き、耳に届く、
 frei-
 のびやかに―
 werdende Zeltwort:
 育った 天幕の言葉―

 Mitsammen.
 ともに。


「遠征」クセノフォンの著作。
「ナゼ ナゲク ココロヨ」ラテン語。モーツァルトの曲よりの引用。

参照:
パウル・ツェラン全詩集〈1〉
中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集〈1〉』
飯吉光夫訳『誰でもないものの薔薇』

   「Die Niemandsrose」(目次)に戻る
   「死のフーガ」「トートナウベルク」など
   「パウル・ツェラン 不信の時代の詩人」に行く
野望潰える。
 前回英訳が存在するという事実に今さら気付いたrokugomarunisai。あれ、これってドイツ語やる必要ねえんじゃ便利じゃね? と思ってたら、いきなり問題にぶち当たる。それも二つ。
 ひとつ目は解釈の違い、もうひとつは誤訳。あーね……てなわけで野望は呆気なく潰えたのでした。……むしろ手間増えた?
エジプトで
   IN ÄGYPTEN
   エジプトで

 Du sollst zum Aug der Fremden sagen: Sei das Wasser.
 言うのだ よそびとの目に向かい。水であれと。
 Du sollst, die du im Wasser weißt, im Aug der Fremden suchen.
 探すのだ 覚えある水の中、よそびとの目の中。
 Du sollst sie rufen aus dem Wasser: Ruth! Noëmi! Mirjam!
 呼ぶのだ 水の中より。ルッツを! ノエミを! ミリアムを!
 Du sollst sie schmücken, wenn du bei der Fremden liegst.
 飾るのだ よそびとを、かたわら横たわる時。
 Du sollst sie schmücken mit dem Wolkenhaar der Fremden.
 飾るのだ よそびとの 雲のような髪で。
 Du sollst zu Ruth und Mirjam und Noëmi sagen
Pray, Lord, pray to us…
 うっかりツェランの英訳を見つける。いや見つけてしまった、と言った方がいいかも。で読んでみて、ドイツ語と日本語との距離が(英語に比べれば、だけど)遠いこと、遠いこと。以下一部抜粋。

   Tenebrae      Tenebrae       テネブレ

 Nah sind wir,Herr,   Near are we, Lord,   近いのだぼくらは、主よ。
 Nahe und greifbar.   near and graspable.   近くふれあうほどに。


 Bete,Herr,       Pray, Lord,      祈れ、主よ、
 bete zu uns,      pray to us,      祈れぼくらに、
 wir sind nah.      we are near.     ぼくらは近い。



 いったい英←→独の何十倍手間がかかるやらってなもんですよ。
 ……と同時に日本語が信頼に足る言語だってことも分かります。手間かければきちんと応えてくれる、ってことですからね。
 そういや柳瀬尚紀(言葉遊び好きの翻訳者)は「日本語に翻訳不能などない!」と豪語してたとか。『フィネガンズウェイク』(全編言葉遊びで出来たジェイムズ・ジョイスの本。翻訳は日本語版が世界初)訳した人の言うことは違うねえと思ってたけど、まんざらでも無さそうです。

 落ち込んだんだか励まされたんだか、よく分からないけど面白い体験でした。
今日頼んだもの。
The Snows of Kilimanjaro: And Other Stories
『The Snows of Kilimanjaro: And Other Stories』
 超名作『キリマンジャロの雪』を始めとする短編集。久し振りに短編集を読んで買う気に。『殺し屋』『父と子』も収録されてるのが嬉しい。『二つの心臓の大きな川』(原題『Two Hearted River』この語感を訳せないものか……)が入ってないのはちょっと残念。

Sabbatai Sevi; The Mystical Messiah, 1626-1676 (Bollingen Series (General))
『Sabbatai Sevi The Mystical Messiah』
 極めて興味を惹かれてた、偽メシアことサバタイ・ツヴィの伝記。著者は哲学者にしてシオニスト、ゲルショム・ショーレム。1000ページ超で翻訳の出る気配がかけらほどもないので(かつ英語なので)購入を決意。

 ……月末残高を見るのが激しく恐い。
祝・復刊 スタニスワフ・レム『砂漠の惑星』
『ソラリス』、『エデン』とともにシリアス・ファンタジー三部作の一角を成す 『砂漠の惑星』(原題『無敵』)が、名作セレクションの一冊として六月十日復刊。ちなみに下旬には、国書刊行会よりレム最後の長編、『フィアスコ(大失敗)』も刊行予定とのこと。ファンには嬉しい月となりそうです。

追記:
まだご存じない方の為にいうと、20世紀で10指には入る作家です。SF系統の人とされていますが、それはカート・ヴォネガット同様誤解で、ジャンルに囚われずほとんど哲学者と言っていい思考の高みに達しています。何しろこの21世紀になっても、「クラクフの賢人」という二つ名を冠されていた位なのですから。というと難しいようですが、どっこい普通に作品としても楽しめます(『ソラリス』辺りは)。超有名な作家なので、とりあえず地元や学校の図書館で触れてみてはどうでしょう?

天の声・枯草熱ソラリス虚数
(変わりゆく鍵で)
 MIT WECHSELNDEM SCHLÜSSEL
 変わりゆく鍵で
 schließt du das Haus auf, darin
 きみは家を開けた、
 der Schnee des Verschwiegenen treibt.
 静かに雪の降りゆくさなか。
 Je nach dem Blut, das dir quillt
 そう血のように、目より
 aus Aug oder Mund oder Ohr,
 口より耳より溢れ出し そうして、
 wechselt dein Schlüssel.
 きみの鍵は変わる。

 Wechselt dein Schlüssel, wechselt das Wort,
 鍵を変えて、言葉を変えて、
 das treiben darf mit den Flocken.
 雪片とともに漂うがいい。
 Je nach dem Wind, der dich fortstößt,
 そう風のように、きみを拒む、
 ballt um das Wort sich der Schnee.
 言葉を包んだもの 雪。

   ツェラン朗読『MIT WECHSELNDEM SCHLÜSSEL』(MP3)

   「Die Niemandsrose」(目次)に戻る
   「死のフーガ」「トートナウベルク」など
   「パウル・ツェラン 不信の時代の詩人」に行く
(明るい石たち)
 DIE HELLEN
 明るい
 STEINE gehn durch die Luft, die hell-
 石たちが空を横切る、明るく―
 weißen, die Licht-
 白き、光の―
 bringer.
 運び手が。

 Sie wollen
 きみらは
 nicht niedergehen, nicht stürzen,
 降りようとしない、落ちようとしない
 nicht treffen. Sie gehen
 当たろうとしない。きみらは
 auf,
 昇る、
 wie die geringen
 わずかな生け垣の
 Heckenrosen, so tun sie sich auf,
 薔薇のように、そんな風に振る舞い、
 sie schweben
 きみへと
 dir zu, du meine Leise,
 漂う、ぼくの 秘やかなきみ、
 du meine Wahre -:
 ぼくの 本当のきみ―

 ich seh dich, du pflückst sie mit meinen
 ぼくはきみを見、きみは摘む ぼくの
 neuen, meinen
 思いと共に、ぼくの
 Jedermannshänden, du tust sie
 いずれの手と共に、きみは放る
 ins Abermal-Helle, das niemand
 今ひとたび―明るい方へ、誰も
 zu weinen braucht noch zu nennen.
 泣かず 名づけずに済む方へ。


参照:
パウル・ツェラン全詩集〈1〉
中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集〈1〉』
飯吉光夫訳『誰でもないものの薔薇』

   「Die Niemandsrose」(目次)に戻る
   「死のフーガ」「トートナウベルク」など
   「パウル・ツェラン 不信の時代の詩人」に行く
(絲の太陽たち)
 FADENSONNEN
 絲の太陽たち
 über der grauschwarzen Ödnis.
 灰黒い荒涼の上の。
 Ein baum-
 一本の樹の――
 hoher Gedanke
 高々とした思いが
 greift sich den Lichtton: es sind
 光の響きをつかみ取る――まだ
 noch Lieder zu singen jenseits
 歌えるはずのうた ひとの彼方で
 der Menschen.
 歌えるはずの。


   ツェラン朗読『FADENSONNEN』(MP3)

   「Die Niemandsrose」(目次)に戻る
   「死のフーガ」「トートナウベルク」など
   「パウル・ツェラン 不信の時代の詩人」に行く